昨日からTVではトリノオリンピック、女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香の映像をずっと流していますね。
オリンピックに限らず最近は、格闘技イベントの「K-1」や「PRIDE」にしても、試合そのものよりも、様々な付加情報を付け足して、視聴者の気持ちを盛り上げる演出の花盛りですが、あれってどうなんでしょうか?
私は、選手がいかに艱難辛苦でドラマチックな時間を経て、その試合に辿り着いたかよりも、試合そのものをじっくり観たい。
ご両親や母校の応援風景を流す時間があるのなら、激戦を勝ち抜いて世界中から集まった選りすぐりの人々の試合や演技をしっかり見たい。そういうスゴイ連中の上に立ったという“厳粛なる事実”を自分自身でみて、これがオリンピックの金メダルなんだ、という価値を確認したいですね。
こういった意識を持ち、世界との差を具体的に感じなければ、いつまで経っても、「島国根性」から抜け出せず、世界を相手にすることは絶対無理だと思います。無論スポーツに限らず、ビジネスも政治も同様ですが‥‥。
金メダルの演技は最高でしたが、その前の練習時の荒川静香の様子が格好良かったなあ。静かな自信というか、言葉で表現できない力が体中からあふれ出ていました。
【おまけ】: きっと「イナバウアー」が、一瞬の流行言葉になるのだろうなあ‥‥。
デジタル・ディバイド(情報格差)については、いろいろなところで、既に問題提起され、話し合われています。
外務省のページでは、「一般に、情報通信技術(IT)(特にインターネット)の恩恵を受けることのできる人とできない人の間に生じる経済格差を指す」と、このデジタル・ディバイドのことが説明されています。
“経済格差”と明確にしているのは、大事なポイントです。こと日本に限って言えば、“情報格差”は人災です。
デジタル・ディバイドをなくすことは決して難しくありません。その唯一の方法は、“情報”の価値をしっかりと認識することです。光回線のインターネットを引くこと、イコール、デジタル・ディバイドの解消ではありません。情報の持つ力、そして怖さを知り、どのように自分たちに、そして世の中に役立てていくかを考えることが重要なのです。
ITは、単なる手段です。
情報を有効に利用する手段に過ぎません。インフラはもちろん必要ですが、情報をどのように活用していくか、という設計図がなければ、ブロードバンド・インターネットも役に立ちません。
大人も子どもも、役所の人も、会社員も、農業、漁業、サービス業の方も、ましてや教育に携わる人は、情報の価値と、世界中と繋がっているネットワークが存在することを、もう一度自分自身の問題として考えてみられることを、強く!お勧めします。
突然ですが皆さんは今、“ITで、ハッピー!ブログ”を読んでますよね。
その他にも、ニュースサイトを見たり、ショッピングを楽しんだりと、インターネットをフルに活用されていることと思います。でも、実はそれらはインターネット上を流れる情報の一部であって、全てではないのです。
何か持って回った言い方になってしまいました。
インターネットが一般社会で珍しかった時代、僅か十年くらい前のことなのに遥か昔のような気がしますが、ホームページとEメールがインターネットでした。面映ゆくも、新世紀の“情報発信”などとホームページを称し、そこに明るい未来を感じていたモノでした。
まあそれはそれで良いのですが、現在は情報とその利用方法が多様化し、お客様に紹介する情報以外に、特定の人や組織だけに開示する情報が増えているのです。
例えば、営業情報を全国の支社間だけで共有する、特別にアーカイブしたコンテンツをパスワードで保護されたリンクで呼び出す、等様々な形で一般の人が利用できない-見えない-ホームページで情報が利用されているのです。
インターネットはウェブサイト(ホームページ)、という概念を一度捨て、大容量の情報を、世界中に張り巡らされたネットワークで有効に活用できないか、と考えてみる。
それはビジネスにも、そして人類の豊かな暮らしのためにもプラスになると思うのです。